12/01/2019

書道

それは、八百年ほど昔のことでした。幾度も、幾度も、何度も何度も、生涯閉じられるその時まで、枕元に置かれて書き直された書物があります。

後の世の私たちに、何んとか「そんなにしてまで、なぜ生きる」の答えを知ってもらいたいと、書き記されたものでした。「どう生きる」で頭がいっぱいの私たちに、分からせることは、「絶望への挑戦」でした。(親鸞聖人の、主著)



11/23/2019

●響いた言葉●

私「歯磨きって、めんどくさいんですよね」

歯医者さん「お皿だって、食べたら洗うでしょう」


※大口デンタルクリニックの、お世話になっている女医さん

10/22/2019

簡単な節約

歯磨き粉、ハサミでチョッキン。けっこう残っている。母がやっていた事、真似てみました。




9/14/2019

古典を写す




歎異抄(たんにしょう)第三章 

有名な悪人正機(あくにん しょうき)*を言われたもの 


-意訳 -

善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。 


それなのに世の人は、つねに言う。 

悪人でさえ浄土へ往(ゆ)けるのだ、ましてや善人は、なおさら往ける。 


このような考えは、 一見もっともらしく思えるが、弥陀*が本願を建立された趣旨に反するのである。 


なぜかと言えば、阿弥陀如来は、すべての人は、「煩悩(ぼんのう)*の塊(かたまり)」であり、助かる縁なき極悪人と見ぬかれて、「我にまかせよ、必ず救う」と誓われているからだ。 


それなのに "自分の励む善で生死(しょうじ)の一大事*を解決できる"と自惚れている善人は、極悪人と見極められて建てられた本願を疑っているから全幅、弥陀にまかせる心がない。 ゆえに「弥陀の本願にあらず」。本願の対象とはならないのである。 


だがそんな人でも、 弥陀の徹見*(てっけん)通りの自己に驚き、 生死(しょうじ)の一大事は弥陀にうちまかせて、 浄土へ往けるのである。 


煩悩(ぼんのう)にまみれ、どのような行*を励むとも、到底、生死(しょうじ)の迷い*を離れられぬ我々を不憫に思われ建立されたのが、弥陀の本願。 


悪人を成仏させるのが弥陀の本意だから"助かる縁なき者"と、他力*にうちまかせる悪人こそ、 浄土へ生まれる正客*なのだ。 


されば、善人でさえ浄土へ生まれるのだから悪人はなおさらである、と聖人は仰せになりました。 


ーーーー

*悪人正機:悪人を救うのが、阿弥陀仏の本願、ということ。 

*弥陀 :阿弥陀仏のこと。 

*煩悩 :欲や怒り、ねたみそねみなど、私たちを煩わせ悩ませるもの。 

*生死の一大事:永久の苦患に沈むか、永遠の楽果を得るか、の一大事をいう。 


*徹見: 真実を見抜く。 

*: 善い行い。善行。 

*生死の迷い:生まれ変わり死に変わり、苦しみ悩み経巡っていること。

 *他力 阿弥陀仏のお力。

*正客:本当の目当ての人。 


〔出典〕『歎異抄をひらく』1万年堂出版       2008

6/14/2019

ほんとうの癒し

届いたハガキ。。。今朝。。。

 「今から八百年前、親鸞聖人が、どんな人でも本当の幸福になれる道を明らかにされたのが浄土真宗である。 」(真宗とも)







1/05/2019

ロングセラー

古典を解説して10年以上前に出版された1冊の本。

古典とはいえ、仏教の専門書が30万部を越えて購入されつづけて来たことに、出版業界も大いに驚いていると聞きます。なんでも、100万部に向かうのではないかと噂されているようです。


大正の頃から、幾度となく起こった「親鸞」ブームといわれるもの。

昨今も、その兆しが見え始めていると言われているようです。その筆頭が「歎異抄」という書物だったのは、今も昔も変わりないようです。


※写真は、本日の朝日新聞、朝刊1面。