To get married is not to become 'happy'. It is for two people to survive a painful life (from the TV drama I saw recently) 結婚するのは、「幸せに」なるためでないんだ。二人で苦しい人生を乗り切るためだ(最近見たTVドラマから)
12/31/2019
12/01/2019
書道
それは、八百年ほど昔のことでした。幾度も、幾度も、何度も何度も、生涯閉じられるその時まで、枕元に置かれて書き直された書物があります。
後の世の私たちに、何んとか「そんなにしてまで、なぜ生きる」の答えを知ってもらいたいと、書き記されたものでした。「どう生きる」で頭がいっぱいの私たちに、分からせることは、「絶望への挑戦」でした。(親鸞聖人の、主著)
11/23/2019
10/22/2019
9/14/2019
古典を写す
歎異抄(たんにしょう)第三章
有名な悪人正機(あくにん しょうき)*を言われたもの
-意訳 -
善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。
それなのに世の人は、つねに言う。
悪人でさえ浄土へ往(ゆ)けるのだ、ましてや善人は、なおさら往ける。
このような考えは、 一見もっともらしく思えるが、弥陀*が本願を建立された趣旨に反するのである。
なぜかと言えば、阿弥陀如来は、すべての人は、「煩悩(ぼんのう)*の塊(かたまり)」であり、助かる縁なき極悪人と見ぬかれて、「我にまかせよ、必ず救う」と誓われているからだ。
それなのに "自分の励む善で生死(しょうじ)の一大事*を解決できる"と自惚れている善人は、極悪人と見極められて建てられた本願を疑っているから全幅、弥陀にまかせる心がない。 ゆえに「弥陀の本願にあらず」。本願の対象とはならないのである。
だがそんな人でも、 弥陀の徹見*(てっけん)通りの自己に驚き、 生死(しょうじ)の一大事は弥陀にうちまかせて、 浄土へ往けるのである。
煩悩(ぼんのう)にまみれ、どのような行*を励むとも、到底、生死(しょうじ)の迷い*を離れられぬ我々を不憫に思われ建立されたのが、弥陀の本願。
悪人を成仏させるのが弥陀の本意だから"助かる縁なき者"と、他力*にうちまかせる悪人こそ、 浄土へ生まれる正客*なのだ。
されば、善人でさえ浄土へ生まれるのだから悪人はなおさらである、と聖人は仰せになりました。
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*悪人正機:悪人を救うのが、阿弥陀仏の本願、ということ。
*弥陀 :阿弥陀仏のこと。
*煩悩 :欲や怒り、ねたみそねみなど、私たちを煩わせ悩ませるもの。
*生死の一大事:永久の苦患に沈むか、永遠の楽果を得るか、の一大事をいう。
*徹見: 真実を見抜く。
*行: 善い行い。善行。
*生死の迷い:生まれ変わり死に変わり、苦しみ悩み経巡っていること。
*他力 阿弥陀仏のお力。
*正客:本当の目当ての人。
〔出典〕『歎異抄をひらく』1万年堂出版 2008年
9/08/2019
7/13/2019
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5/05/2019
1/05/2019
ロングセラー
古典を解説して10年以上前に出版された1冊の本。
古典とはいえ、仏教の専門書が30万部を越えて購入されつづけて来たことに、出版業界も大いに驚いていると聞きます。なんでも、100万部に向かうのではないかと噂されているようです。
大正の頃から、幾度となく起こった「親鸞」ブームといわれるもの。
昨今も、その兆しが見え始めていると言われているようです。その筆頭が「歎異抄」という書物だったのは、今も昔も変わりないようです。
※写真は、本日の朝日新聞、朝刊1面。