1/21/2018

「ぜんざい」の由来(お汁粉、善哉)

前略
久しくご無沙汰しています。
先週、お店で ぜんざいを頂きました。
猫舌の彼女は、「ぬるめで」とたのんでいました。
「この汁、善いかな(善哉、ぜんざい)」と弟子をほめたのは、室町時代の一休和尚とのこと。これが由来とも言われています。




時はさかのぼり2600年前のある日のこと。
「今日は、普段とは全くご様子が異なり、光り輝いておられるようです。どうされたのでしょうか」
「よく問うた。善いかな、甚だ快し」
誰よりも長くおそばにつかえていた仏弟子 阿難(あなん)が問い、師の釈迦がほめちぎりました。
「善哉(よいかな)」と弟子を褒める言葉は、多く経典に見られます。一休がそれを知っていたのも当然です。
しかし、生涯に説かれた7000巻余りの経典に、このような例は他に見られません。
「光顔巍々(こうげん・ぎぎ)」と察知した弟子を「善哉」と褒めたのです。
「今までこのようなお姿を、見たことがない」と弟子の阿難が驚いたのも無理からぬことでした。
釈迦はこのとき、我に最も説き聞かせたきことあり、と聴衆の前に立たれたのでした。
その時の説法の全記録が、有名な「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」といわれるものです。
釈迦が話したくて、話したくてたまらなかったこと。
自分の師匠である阿弥陀仏がなされている約束(本願)が、それです。
釈迦仏は、弥陀仏の本願を全身全霊、褒め讃えました。
時を経ても色あせぬことのなきこの経典の漢訳が、実に、12種類に及ぶのもうなずけます。
古来、インド、中国、日本で、多くの先人がこの経典に惹かれました。
それは、すべての人々に、
「生きる意味があるのだよ。絶対の幸福になるための人生なんだよ。どんなに苦しくても、この目的果たすまでは、生き抜きなさいよ」と仏が、「これが言いたくて私は生まれてきたのだ」と宣言されたものだからです。
資料:月刊誌とどろき 1月号(チューリップ企画、発行)

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