4/29/2018

司馬遼太郎が愛した本

こんばんは。メルマガ読んでました。
司馬遼太郎の全集はまだ読んだことはありませんが、こんな文章を教えてもらいました。

「私は兵隊に行くときにショックを受けました。

まず何のために死ぬのかと思ったら、腹が立ちました。

仕方がないので本屋に行きまして、 



---------- 転送メッセージ ----------
From: "菊谷隆太"
日付: 2018/04/29 8:21
件名: No.1792【歎異抄に魅了された西田幾多郎と司馬遼太郎】
To: <simizu.h

おはようございます。菊谷隆太です。

いつも読んでいただき、どうもありがとうございます。

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仏教書の中で最も多くの人に読まれてきたのが『歎異抄』です。

その流れるような文章の美しさから

『徒然草』『方丈記』と並び、「日本三大古典」に数えられます。

その衝撃的な内容、哲学的な深遠さは、読む人を魅了してやみません。



魅了されている一人が国民的歴史作家、司馬遼太郎氏です。

歎異抄について、かって氏が講演で述べている箇所がありました。

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私は兵隊に行くときにショックを受けました。

まず何のために死ぬのかと思ったら、腹が立ちました。

いくら考えても、自分がいま急に引きずり出され、 

死ぬことがよくわからなかった。

自分は死にたくないのです。

ところが国家は「死ね」という。

死んだらどうなるかが、分かりませんでした。

人に聞いてもよく分かりません。

仕方がないので本屋に行きまして、 

親鸞聖人の話を弟子がまとめた『歎異抄』を買いました。

非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。

人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、

何かうそだなと思うことがあります。

『歎異抄』にはそれがありませんでした

ーーーーーーー


時代考証、現地の歴史を調べ上げて、

徹底したリアリズムを追求する司馬遼太郎なればこそ、

多くの書に「空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思う」

と敏感に察知するのでしょう。



毎年流行っては廃っていく「○○心理学」や「○○の思想」などを読んで、

「空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思う」

と感じられる人は案外多いと思うのですが、

そんな思いを持っている方が歎異抄を読まれると、司馬遼太郎のように

「『歎異抄』にはそれがない」「真実のにおいがする」

と感じられるのではないかと思います。



歎異抄には親鸞聖人の言行が生き生きと活写されています。

歎異抄を読む人は、常識を覆す親鸞聖人の言葉の数々に惹きつけられ、時に身震いさえ感じます。

きっと司馬遼太郎氏はそうだったのでしょう、こうも書き残してます。

「鎌倉時代というのは、 一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」

鎌倉時代に起こったあらゆる事件、そこにまつわる様々な人物に精通し、

日本史上における鎌倉時代の位置づけなど多角的に論じられる氏が一言で

「鎌倉時代は偉大な時代だった」と断じている。

しかもその理由が「だって親鸞を生んだ時代じゃないか」と言っているのです。



さらに氏は言います。

「無人島に一冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」



司馬氏と同じようなことを日本三大哲学者の一人、西田幾多郎も言っています。

第二次世界大戦末期、空襲の火災を前に言った言葉です。

「いっさいの書物を焼失しても、『歎異抄』が残れば我慢できる」



では「歎異抄」にはどんなことが説かれているのか、

その核心をひもとく記念講演が5月に予定されています。

歎異抄に魅了され、その神髄を知りたいと志す人が、

日本中はおろか、世界中から集う講演で、

約1万人の来場者が予定されています。

私も指折り数えてその日を待ち望んでいます。

どなたでも聞ける講演です。

どんな講演か、詳しく知りたい方は、私のメールアドレスまで『講演希望』との題名で送ってください。

kikutani@waseda.ne.jp

詳細をお知らせいたします。


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4/25/2018

New song! like Bob Dylan

Hi, Friend! I sang a new song. Please enjoy and know about real Buddhism. I sang like Bob Dylan, so it's a bit long. But it is a big surprise.

Words: from a book "You were born for reasons The Real Purpose of LIfe"
Melody: Hiroyuki Shimizu
Song: Hiroyuki Shimizu

https://youtu.be/TUGYcDxbqPQ



4/21/2018

Contact me , If you want to hear the teachings of the true Buddha .

I am studying Buddhism in Japan. And I am telling various people.
If you want to hear the teachings of the true Buddha, please contact me.
"Why do I have to hear Buddhism?" I may be questioned.
I am answering "Because you are a human being."
"Know yourself that you do not even know"
It is not why you should listen to Buddhism.
We were born to hear to Buddhism.
Oh, to gain the joy of life as to whether I was born to human for this purpose.
In true Buddhism there is the answer "Why live" "meaning of life" "reason why we must live."
When you truly understand Buddhism, your perspective on life, human view, and religion will change completely.

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清水弘之(Shimizu Hiroyuki)on  June 10,1960
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4/20/2018

ほぼ60年間隔で成立している、鴨長明の『方丈記』、『歎異抄』、吉田兼好の『徒然草』

おはようございます。コーヒーを飲みながら朝、ぼーと朝刊をひらくと広告が目に飛び込んできました。
(朝日新聞、朝刊2面、4月16日(月)、2018H30年)

この広告に掲載されている、「歎異抄をひらく」の“全文”が公開されている公式サイトを見つけました。

トップ・ページ

(一部、抜粋)
    1. トップページ > 歎異抄とは > 誤解に満ちた歎異抄

        善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。                            (善人でさえ、浄土へ生まれることができるのだから、ましてや悪人は、なおさら往生できる)                                                 ※往生=浄土へ往くこと

        これは『歎異抄』3章の一節である。日本の古典で、もっとも知られる一文だろう。

        『歎異抄(たんにしょう)』は700年ほど前、親鸞聖人の高弟・唯円(ゆいえん)によって書かれたものといわれている。

        聖人亡き後、親鸞聖人(しんらん・しょうにん)の仰せと異なることを言いふらす者の出現を嘆き、その誤りを正そうとしたものである。

        鴨長明の『方丈記』、『歎異抄(たんにしょう)』、吉田兼好の『徒然草』の順で、ほぼ60年間隔で成立している。

        これらは三大古文として有名だが、なかでも『歎異抄(たんにしょう)』の文体に引き込まれるような魅力があり、全文を暗唱する愛読者のあるのもうなずける。

        今日、『歎異抄(たんにしょう)』ほど、読者の多い古典は異数ではなかろうか。その解説書は数知れず、今も新たなものが加え続けられている。ところが、この書が世に知られるようになってから100年もたってはいないのだ。

          ※異数=異例、珍しいこと
            (※印は、書籍の脚注から引用)

        れは500年前、浄土真宗の中興、蓮如上人(れんにょ・しょうにん)が、親鸞聖人を誤解させるおそれがあると、「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ」と封印されたからであろう。

          ※中興=再び盛んにした人。
            ※蓮如上人(れんにょ・しょうにん)=親鸞聖人(しんらん・しょうにん)の8代目の子孫。
              親鸞聖人(しんらん・しょうにん)の教えを全国に伝え、有名な「御文章(ごぶんしょう)」(御文、おふみ ともいう)を書かれた方。
                ※仏縁=阿弥陀仏(あみだぶつ)とのかかわり。                                                     (略)                                                

        トップページ > 歎異抄とは

        なぜ、善人よりも悪人なのか

        なぜ、この世に、まことは一つもないと断言できるのか。

        『歎異抄 (たんにしょう) 』には、親鸞聖人(しんんらん・しょうにん)の衝撃的な言葉が、数多く記されています。それは、世界の哲学者・文学者にも多大な影響を与えたものばかりです。

        『歎異抄 (たんにしょう) 』の謎が解けた時、私たちの幸せ観、人間観、仏教観は、一変するでしょう。   (後略)

4/02/2018

珈琲とえびせんと、読書(『ふたつの、あわれみ』)

おはようございます。今朝は、「かっぱえびせん」とコーヒーです(^O^)
ページをめくる手が「止まりません」
『憐れみ、いとおしみ、大切に、、』『・・・かわいそう、なんとかしてやりたい』

いま、ずっと古典に親しんでいます(歎異抄、たんにしょう)薄い本で、18章。その4章から。

<意訳>
慈悲といっても、聖道仏教(しょうどう・ぶっきょう)と浄土仏教(じょうど・ぶっきょう)では違いがある。
聖道仏教 (しょうどう・ぶっきょう) の慈悲とは、他人や一切のものを憐れみ、いとおしみ、大切に守り育てることをいう。
しかしながら、どんなに努めても、思うように満足に助け切ることはほとんどありえないのである。

※聖道仏教=天台、真言、禅宗など、自力で修行に励み、さとりを開こうとする仏教。 
※浄土仏教=阿弥陀仏の救いを説く仏教。 

それに対して、浄土仏教 (じょうど・ぶっきょう) で教える慈悲とは、はやく弥陀(みだ)の本願(ほんがん)に救われ念仏(ねんぶつ)する身となり、浄土で仏のさとりを開き、大慈悲心を持って思う存分人々を救うことをいうのである。

※弥陀の本願=阿弥陀仏のお約束。誓願ともいう。 
※仏のさとり 五十二あるさとりの中の、最高のさとりのこと。

この世で、かわいそう、なんとかしてやりたいと、どんなに哀れんでも、心底から満足できるように助けることはできないから、聖道(しょうどう)の慈悲は、いつも不満足のままで終わってしまう。
されば、弥陀(みだ)の本願(ほんがん)に救われ念仏(ねんぶつ)する身になることのみが、徹底した大慈悲心なのである、
と(親鸞、しんらん)聖人は仰せになりました。 



<原文> 歎異抄(たんにしょう)4章

慈悲に聖道(しょうどう)・浄土(じょうど)のかわりめあり。
聖道(しょうどう)の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。
しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。

浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益(りやく)するをいうべきなり。

今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終(しじゅう)なし。
しかれば念仏申すのみぞ、末徹りたる大慈悲心にて候べき、と云々

「歎異抄をひらく」(1万年堂出版、2008年3月3日)
歎異抄

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清水弘之(Shimizu Hiroyuki)on  June 10,1960

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