11/03/2020

姪っ子との会話(魚と鳥と獣と、、、、)

 ある時、姪っ子が、駅ナカの展示スペースの書を指差した。

〝魚は水に棲むが業なり。
鳥は林に棲むが業なり。
獣は山に棲むが業なり。
凡夫が極楽を願わぬのも同じく業なり〟

きらりん、っと彼女の目が光ったのを感じてしまった。
「おじちゃん、」
来た。
「何?」
「この意味を、原稿用紙1枚で、説明セヨ」
「何それ? とりあえず、単語だけ」
「うん」
「業(ごう)というのは、普通は、『行為』という意味に使われる仏語けど、ここでは、『宿命』のことだよ」
「凡夫って?」
「『ぼんぷ』と読んで、人間のこと。あなたも、わたしも、ぼんチッチ」
「あのねえ。。。極楽は、分かるような気がするけど」
「弥陀という仏の住まいする浄土のことだよ。分かった?」
「うんんん、、、結局、これは何を言いたいのさ?」
また、難しいことを聞いてくる。
この文章の意味は、それだけだけど。彼女を満足させるには、これを書いた人の「嘆き」を分からせないと。
「凡夫が極楽を願わぬのを嘆いてね」
「極楽なんて、あるかどうかも、分からないじゃん」
「そうそう、そんなすべての人に、〝弥陀の浄土へ生まれたい〟という願いひとつを起こさせるのが、出世の本懐だったんだよ」
「出世のって、出世してお金儲けの、出世?」
「それは、世に出る、ということになるね。この世を出る、というのが近いかな」
「また小難しいねえ」
「質問したのは、あなたでしょう。でも『出世の本懐』の全体の意味は、この世に生まれた目的ことだよ」
「誰の、目的?」
「鋭いねえ」
「いやあ、それほどでも 。。。。。」
「釈迦の出世の本懐、釈迦という仏のこの世に生まれた目的だね」
「なんだあ、私のじゃ、ないんだあ」
「そんなことは、ないよ。『この生まれて来た目的』で、釈迦と私たちは、一致するんだよ」
「なんだか、わかったような、分からないような」
「原稿用紙一枚では、ムリだよ(笑)」
#エッセーby清水弘之

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