「雪だるま」には、ちょっとした思い出があります。
明治37年生まれの私の祖父。
2600年前のインドから伝わる仏教に「私は、なぜこの私に生まれたのか」の答えを求めていました。
よく「レクチャー」を受けました。しかも「唐突」に。。。
「雪だるまから雪を取ったら、何が残る?」
「えっ、どういうこと?」(゜ロ゜)
「雪だるまは百パーセント雪で出来ている。まあ目とかの装飾は、別として。
雪だるまが溶けたら、ゼロだろう。雪だるまから雪を取ったら何も残らない」
「それは、そうだ」
「同じように人間から煩悩と言われるものを取ったら、ゼロ。
人間は百パーセント煩悩で出来ているから」
「ぼんのうって、物質?」
「物質では決してない。仏法は心を問題にする。心のことだ」
「煩悩以外の、何か向上心とか、真心とか、そういうのはないの、人間には?」
「ない。そのことを釈迦は断言されている。
これを、『煩悩具足(ぼんのう・ぐそく)』とか、『煩悩成就(ぼんのう・じょうじゅ)』と言われる。雪だるまで言ったら、雪だるまは『雪具足』、『雪成就』ということになる。
釈迦の説法を全て記録された経典、7000巻余りは、このこと一つを教えるためだったのだよ。これが分からないと仏教は全く分からない。『自分とはなにか』も分からなくなる」
「そうなると、『煩悩』のもの柄というか、どういうものが煩悩か、知りたくなるね」
そんな会話も懐かしい思い出です。
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