10/04/2014

Let's learn Buddhism in English & Japanese

【迷信(1)】
Superstition(1)

【まかぬ種は生えぬ】 
【まいた種は必ず生える】 
“Seeds not sown will never grow.
Seeds sown will never fail to grow.”

一貫した因果の道理に貫かれている仏教は日の善悪や方角で運勢が決まると語るのを一切迷信だと一刀両断します。
Buddhism is permeated by the consistent Law of Cause and Effect, and it thoroughly denies that one’s fortune is decided by such things as the direction of the sun or whether a day is ‘lucky’ or ‘unlucky’.

『如来の法の中に吉日良辰をえらぶことなし』(涅槃経)
仏教は日の善悪を論じない、とお釈迦様自身が仰言っています。
“There are no lucky or unlucky days in the Tathāgata’s teachings.” (Nirvana Sūtra)
Śākyamuni Buddha himself said that Buddhism does not teach of lucky or unlucky days.

仏教の因果の道理を学んでいなくても世で成功者と呼ばれる人の中にはそれぞれに経験則の中から、行為が運命を切り開くという因果の道理を信念に生きている人は多いように思います。
There do seem to be many people who live with a belief in the Law of Cause and Effect even though they haven’t actually learnt about it. The Law of Cause and Effect states that it is our actions that create our fate, and indeed, people who are considered to have succeeded in life each have their own unique experiences.

「天下分け目の天王山」「天王山決戦」と今でもスポーツの世界などで優勝を決めるような極めて大事な戦いに名づけられる、この「天王山」という言葉は織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉がこの山を制した方が天下を取ることになると両軍がぶつかりあった山の名前です。
In the sporting world, the most important match that decides the winner is literally called the ‘decisive battle of Mount Tennō’ in Japan. This stems from a battle that occurred in the Azuchi-Momoyama period between Akechi Mitsuhide, who had staged a coup resulting in the death of the ruling lord Oda Nobunaga, and Toyotomi Hideyoshi, who wished to avenge Nobunaga. The name of the mountain where this battle to take control of the land took place was Mount Tennō.

人生をかけたこの戦に秀吉はこの一戦に秀吉破れたり、と聞けば城に火をかけ、わが妻もわが母も刺し殺せ、と姫路城留守の将に命じています。
Hideyoshi, who put his life on the line for this battle, would have most certainly given these orders to his retainers at Himeji Castle to carry out in the event that they received word he was defeated: set fire to the castle and kill his wife and mother.

出陣前日に卦を占う者が「明日という日は、非常な悪日でござる」と、卦を立てた結果を報告しました。卦によると、城主が二度と帰らぬ日だというのです。これほどの悪日はない、と周りがささやきあう中、「ばかをいえ」と秀吉は叫びます。みなも聞け、「二度と戻らぬ」とはこれほどの吉日はないぞ、もとより討死の覚悟なればこの秀吉再び生きて帰るつもりはない。「さらには」秀吉は声をはりあげます。ーーこの一戦でもし光秀に勝たば思いのままにどの土地かへ居城を構えることになろう、どちらにしても二度と帰らぬはわがためには見事な吉日であるわ。と動揺する味方を鼓舞し、一層士気があがったと聞きます。
The day before Hideyoshi set out for war, it was reported that a fortune-teller said the next day was a terribly unlucky day. According to their prediction, the lord of the castle would never return after that day. Everyone around Hideyoshi said that no such unlucky days exist, and Hideyoshi exclaimed that the fortune-teller was speaking nonsense, since he believed that there was no luckier day than a day after which one would never return. He said that he was all the more prepared to die in battle and had no intention of coming back again. “Furthermore,” he continued, raising his voice, “If I gain victory over Mitsuhide in this battle, we will be able to build castles wherever we like. Either way, a day from which I do not return is a splendidly lucky day for me.”

秀吉は中国大返しの最中も馬上から次々と指示を出し、近畿の武将をあらゆる手で調略し、明智方の敵将を寝返らせ、情報をかき集め、敵方に偽の情報を流し、勝利への布石を一つ一つ打っていきます。
Hideyoshi put together preparations for victory step by step: giving orders one after another while on horseback during an assault on the Chūgoku region and planning the command of Kinki, then after being betrayed by the enemy general Akechi, scraping together information and passing false information to the enemy.

戦は直接槍を交えるまでの事前工作で決まるのだ、合戦に及ぶ時節には100%勝利が確定している状態で臨むべし、との信念で事に臨んでいる秀吉にはたわいない迷信は何の動揺を誘うこともなかったようです。
One must face battle with 100% certainty of victory when the time comes, and this is decided by the preparations one makes up until the point when one’s swords clash with the enemy’s. Convinced of this, Hideyoshi was not unsettled at all by absurd superstitions.


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横浜線の車窓から

「中央フリーウエイ、調布基地を追い越し、、、、
この道は まるで滑走路 夜空に続く」
作詞 作曲 松任谷由美さん(旧姓 荒井由美の頃の作品)

この曲が作られた頃(1970年代)は、まだアメリカ軍の調布基地がありました。
少し離れますが、(私の)父方のおじたちが住んでいる国分寺、小さな頃、きれいな小川で遊んだ記憶があります。

もう少し西に向かうと、荒井由美さんの実家のある八王子市。
浜線(横浜線の通称)を、八王子から下ると、途中 (私の)母方のおじおばが住む「町田」
小さい頃、よく遊びに行った原町田。町田駅前は、「緑屋」というデパートしかなかったのに。
そこからバスで数分。途中の山で、白いものが。
あれは、確か、ヤギのような。。。確かにいました。。。今は、いないと思います。

浜線に乗って、遠く新横浜を過ぎたあたりに、わが町 大口商店街があります。
ここの蕎麦屋、「森繁」
北海道で人気者、全国区になった大泉洋が、撮影に来たそうです。
「でもさあ、映画見て、がっかり。うどん屋にされちゃって。。。。」
従業員の声を背中に、山菜そばをすすっていました。
まだ 「ざる」を食してないので、実力は不明ですが。。。

※写真は、浜線(横浜線)大口駅 西口側(商店街があるほうです)

10/03/2014

小説


ショート・ストーリー
「花物語」セカンド・バージョン
作 Shimizu Hiroyuki

仕事で外回りを始めた頃、お客さんと話す
のが苦手だった。問屋街を歩く仕事だった。
皆、忙しそうにしていて、誰も相手にしてく
れない。私も悪かった。取っ付きにくい性格
というか、愛想笑いも、冗談もうまく言えな
かった。
仕事を始めて数ヶ月しても、慣れなかった。
それでも一人だけ、よく口をきいてくれる人
がいた。老舗の問屋の老人だった。

ある寒い冬の日、他にいくあてもなかった私
は勧められるまま、暖房の前で出されたお茶
を飲んでいた。この老人は昔話を好んだ。
その日も、老人の話に付き合っていた。
日本が戦争に負けて少し経った頃のこと、
ある町に若い恋人同士が幸せな時を過ごして
いたんだ。語り始めた老人の目尻に笑顔が浮
かんだ。
二人が出会った頃、少女は少年に一輪の花を
手渡した。
少年は、はにかみながら その花を受け取っ
た。
二人が待ち合わせるのは、決まって図書館だ
った。
廃墟となったその町で、唯一残った建物だっ
た。
少女はいつも少年に花一輪、手渡した。
いつもの通り、少年は、はにかみながら 受
け取った。
そしていつもの通り、二人して図書館の中を
散歩した。
いつも決まって二人が行くのはある棚の前だ
った。
上から三段目、右端の中ごろに 一冊の本が
あった。
素敵な表紙の絵本だった。
二人は、決まって椅子に腰掛け、同じページ
をみつめた。
楽しいひとときが終わると、少年は図書館の
前で、少女と別れた。
少年の住んでいたのは、バラックに毛のはえ
たようなみすぼらしい所だった。
その部屋に少女からもらった花を持ち帰ると、
部屋は生き返った。
不思議な事に、少女からもらった花は、どの
花も枯れなかった。
デートを重ねるごとに、少年の部屋の花も増
えてゆく。
部屋中、花だらけになり、明るくなった。
あるとき少女が言った。
「もし花が枯れるようなことがあったら、お
水をあげてね」
少年は、こっくり うなずいた。
しばらくすると、少年は少女と会うことが出
来なくなった。
間もなく、少女が病気になったことを知った。
その日、家に帰ると、部屋中の花が枯れ始め
た。
少年は、少女との約束どおり、花に水をやっ
た。
会えなくなった少年は、淋しくて、いつもの
通り、図書館に行った。
あの棚の前に立った。
二人で座った椅子をみつめていた。
ふと、少年は、その本を借りることにした。
生まれて初めて図書館で本を借りた。
いつものように花に水をやり、部屋の片隅に
座ってその本のページをめくった。
少女がいない淋しさを紛らわすように、少年
は、その本を口に出して読み始めた。
つっかえ、つっかえだったが、そうしている

少女と一緒にいるような気持ちになった。
しばらくして、水をいくらやっても 枯れた
ままだった花がまた咲き始めた。
少年は何度も その部屋の片隅で、声を出し
て本を読んだ。
花も次第に元にもどっていった。
しばらくして、少女が退院したことを知った。
図書館に行って見ると、外で少女が立ってい
た。
手には、一輪の花。
少女はいつものように少年に花一輪渡した。
「たくさんのお水をありがとうね」
少女がそういうと、少年は こっくりとうな
ずいた。
話が終わると顔をしわくちゃにして、その人
は笑った。僕たちの間にあったテーブルの湯
呑茶碗はからからになっていた。