私も、メルマガ、やってみようかな、と思ったことがあります。
ただ、写真とか、絵を手軽に載せられる ブログに より
魅力を感じて、これまで、「メルマガ」というものをつくったことが
ありません。
ここに、ご紹介する、毎日読んでいるメルマガ、
実は、著者の方とお会いしたことがあります。
通勤途上でもいいから、読んでもらいたいと、
朝の8時ごろ、送信されていそうです。
。。。。毎日。。。私には、とても真似できません。
(以下、 全文引用)
日付: 2014年8月14日 8:07
件名: No.1344【無常と校門とガン】
おはようございます。菊谷隆太です。
いつも読んでいただき、どうもありがとうございます。
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小中学校の国語の教科書に何を載せるか、ということは
子供の教育にとって大きな影響を与えると感じてます。
私なら萩原朔太郎の『竹』の詩や
中島敦の『山月記』には大きな感銘を受け、
そのほかの著作も読んだものです。
子供の豊かな感受性を育むような作品を
ぜひ教科書に載せてもらいたいところです。
【今日の仏語】は『無常を観ずるは菩提心の一なり』です。
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■人は何かを失う時に初めて、
その有難味を知るといいます。
卒業式の日に通いなれた校門を何度も振り返って、
別れを惜しんだ経験のある人も多いことでしょう。
「あーあ、もう月曜日か。」
とため息ついてくぐった校門がなぜか懐かしく、
愛おしくさえあるものです。
■普段私たちは生きているという事実を
当然と受け流していますし、
「さっさと生きてさっさと死にたい。」
くらいに軽く受け止めています。
しかし、「あと半年の命です。」と
医師に宣告されたガン患者にとっては、
自分が今 生きているという事実が、
「かけがえのないもの」と
痛烈に知らされることでしょう。
満開の桜を見ては、
「この桜が咲き誇る姿も見納めだな。」
と涙するという。
友人と何気ない会話をして
「じゃあまた。」と背中を向けて歩き出すと、
「もう二度と彼と会うことはないんだろうな。」
と涙が出る。
自己の命は有限だったと気付く時、
「この命、何に使うべきか。」
「本当に今のままでお前は後悔ないのか?」
真剣な回答が迫られるのでしょう。
■「俺は死ぬんだ、という驚嘆から哲学は始まる」
と言ったのはアリストテレスです。
死を前にした時、人は
『必ず死ぬのに なぜ生きる』
人生最大の問題と対峙させられるのです。
その苦悩に煩悶した人にのみ、
真の人生が切り開かれることを仏典には、
「無常を感ずるは、菩提心(ぼだいしん)の、一(はじめ)なり」
(死を見つめることはいたずらに暗く沈むことではなく、
生の瞬間を日輪よりも明るくする第一歩といえよう。)
とあります。
■人の死を見たり、聞いたりしたとき、
私たちは虚をつかれたような驚きを感じます。
それは、ばたばたと忙しくしている
日常の運行が停止するような 厳粛な驚きです。
そんな時に、上記のような哲学的な問いを
自問した人も多いのではないでしょうか。
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執筆発行:菊谷隆太
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