8/14/2014

好きなブログから No.1344【無常と校門とガン】


私も、メルマガ、やってみようかな、と思ったことがあります。
ただ、写真とか、絵を手軽に載せられる ブログに より
魅力を感じて、これまで、「メルマガ」というものをつくったことが
ありません。

ここに、ご紹介する、毎日読んでいるメルマガ、
実は、著者の方とお会いしたことがあります。

通勤途上でもいいから、読んでもらいたいと、
朝の8時ごろ、送信されていそうです。

。。。。毎日。。。私には、とても真似できません。

(以下、 全文引用)





日付: 2014年8月14日 8:07
件名: No.1344【無常と校門とガン】

おはようございます。菊谷隆太です。



いつも読んでいただき、どうもありがとうございます。

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小中学校の国語の教科書に何を載せるか、ということは

子供の教育にとって大きな影響を与えると感じてます。

私なら萩原朔太郎の『竹』の詩や

中島敦の『山月記』には大きな感銘を受け、

そのほかの著作も読んだものです。

子供の豊かな感受性を育むような作品を

ぜひ教科書に載せてもらいたいところです。



【今日の仏語】は『無常を観ずるは菩提心の一なり』です。

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■人は何かを失う時に初めて、

その有難味を知るといいます。


卒業式の日に通いなれた校門を何度も振り返って、

別れを惜しんだ経験のある人も多いことでしょう。


「あーあ、もう月曜日か。」

とため息ついてくぐった校門がなぜか懐かしく、

愛おしくさえあるものです。


■普段私たちは生きているという事実を

当然と受け流していますし、

「さっさと生きてさっさと死にたい。」

くらいに軽く受け止めています。



しかし、「あと半年の命です。」と

医師に宣告されたガン患者にとっては、

自分が今 生きているという事実が、

「かけがえのないもの」と

痛烈に知らされることでしょう。







満開の桜を見ては、

「この桜が咲き誇る姿も見納めだな。」

と涙するという。



友人と何気ない会話をして

「じゃあまた。」と背中を向けて歩き出すと、

「もう二度と彼と会うことはないんだろうな。」

と涙が出る。



自己の命は有限だったと気付く時、

「この命、何に使うべきか。」

「本当に今のままでお前は後悔ないのか?」

真剣な回答が迫られるのでしょう。



■「俺は死ぬんだ、という驚嘆から哲学は始まる」

と言ったのはアリストテレスです。



死を前にした時、人は

『必ず死ぬのに なぜ生きる』

人生最大の問題と対峙させられるのです。



その苦悩に煩悶した人にのみ、

真の人生が切り開かれることを仏典には、

「無常を感ずるは、菩提心(ぼだいしん)の、一(はじめ)なり」

(死を見つめることはいたずらに暗く沈むことではなく、

 生の瞬間を日輪よりも明るくする第一歩といえよう。)

とあります。



■人の死を見たり、聞いたりしたとき、

私たちは虚をつかれたような驚きを感じます。



それは、ばたばたと忙しくしている

日常の運行が停止するような 厳粛な驚きです。



そんな時に、上記のような哲学的な問いを

自問した人も多いのではないでしょうか。







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執筆発行:菊谷隆太
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