熊谷駅前の暑いところで、何されておられる?
須磨の浜で己の息子小次郎と同い年か、敦盛が首をはねた後、
さすがの豪傑も、無常と罪悪にさいなまれたと聞くが。
「こんなオレの、未来は、後生(死後)はどうなるか」と驚いて、平家追討を義経らにまかせ、京へ京へと上ったと。
桜のひとひらが、はらりと杯に落ちて、栄華を極める「どう生きる」の人生から、
「そんなにしてまで、なぜ生きる」への道を歩む者あり。
親や子を亡くしても、一匹の蚊に刺されたほどにも思わぬものあり。
ゆく河の流れの川面に、浮かぶ泡はさまざまあれど、みな夢の如し、幻の如し。
滝つぼに向かう生と誰か思わん。
さて、京に上りし、熊谷氏は、いかに。
何のえにしか、熊谷次郎直実。
今をときめく、智慧第一とうたわれた法然さまの、膝によよと泣き崩れたと。
今では見かけぬ、法を説く僧侶。説くと思えば、骨拾いの歌ばかり。
勢至菩薩の生まれ変わりとも賞賛された法然さまの、心をこめた
説法を真剣に聞き開き、ついに熊谷は阿弥陀仏の本願に救われた。
出世の本懐(人生の目的)みごと果たし、蓮生房となりにけり。
「まさか、生きている今、こんな不思議な身になれるとは」
胸高らかに響かせて、破れた地獄を喜んで、
「まず三悪道を離れて人間に生まれたること大きなるよろこびなり」
先達の言葉をかみしめる。
その後、お友達の親鸞さまと手を取り合って、まことの道を歩まれたと
聞くが。
なぜに、今ごろ、そんなところにましますか。
歴史のスポットライトが、ちょっと角度を間違えると、肝心・要をそぎ落とす。
そなたは、あのとき、熊谷次郎直実から蓮生房と新生したので、なかったか。
一番、苦々しくあの像を見上げるは、そなたであろう。
あと半世紀か、百年か、心あるものが、そなたの像を、新生するだろう。
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