8/15/2015

お盆ノート その2

おはようございます。
お盆の季節、全国各地でこの「阿弥陀経」に親しんでらっしゃるお宅も少なくないと思います。

「お盆」と言ったら「阿弥陀経」、「阿弥陀経」といったら「お盆」。有名です。

【亡き祖父のノートを紐解きます】

「お経は、ヤスパースが「軸の時代」と指摘した2600年ほど前、インドで釈迦が説かれた説法の記録です。同時期に、ヨーロッパ、インド、中国で一斉に偉人が現れました」

「お経は、意味が分からなければ、意味がありません。せっかくですから、読経に来た僧侶に意味を聞かれるとよいでしょう。そうでなければ、もったいない。
お盆の時でも、葬式の時でも構わないでしょう。お経の意味を話すために僧侶はいるのですから。
元来は寺(=精舎、下記参照)は、仏法の意味を聞く場所(=聞法道場)でした。
寺に住まいする僧侶の仕事が、仏教の意味を伝えることでした。
これを、法施(法を施す)といい、法を聞いた人が僧侶に施すのを財施(財を施す)と言
われます。
これは仏教の伝統です。近年は、「法施」が行われず、「財施」だけが、当たり前になっています。バランスが崩壊しているようです。何とか伝統に戻ればいいのですが」

【お経の内容メモ1】
(写真の原文を参照)

・時:一時
・ところ:舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園精舎(=略称「祇園精舎」という寺)
・聴衆:千二百五十人(このあと、多くの名前が記されています)
その中のひとり、羅睺羅(らごら;ラフーラ)は釈迦の子息です。釈迦の弟子になっていました。

【お経の内容メモ2 この阿弥陀経の特徴】

釈迦の説法は何かの「ご縁」があって始まるのが常です。
今風に言えば、講演を依頼した人の要望に応じて、話されます。
ところが7,000巻以上あるお経のなか、この阿弥陀経だけが、突然、何の前触れもなく話を始められました。 

だれも要望できない、質問できない、と釈迦は分かっておられたのでしょう。
そして、釈迦自身が、話したくて話したくてしかたがなかった内容でしょう。
私たちも、話したいこと、嬉しいことは、人に聞かれなくても話をします。

(=このため阿弥陀経は「無問自説」の経と言われます)


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