10/17/2020

20世紀最大の哲学者と日本の古典の関係

昭和の頃の古い新聞を図書館で見ていたら、ちょっと驚くべき記事を見つけました。

20世紀最大の哲学者と評される
ハイデッカーの老後の日記の一部だそうです。

「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞(しんらん)の『歎異鈔(たんにしょう)』を読んだ。
弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこう・しゆい)の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり(歎異抄後序)とは、何んと透徹した態度だろう。

もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。
遅かった。

自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が三十名近くも留学して弟子になった。
ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。

日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。

そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
二十一世紀文明の基礎が置かれる。」

(中外日報 昭和38年8月6日)




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