9/10/2015

室町時代の蓮如上人の言行録から

仏法において肝要であるのは、修行でも、祈祷でもなく、ただ「真剣な聴聞に極まる」ことが、ねんごろに述べられています。
説法をする方があってこそ、法を聞くことが叶います。
いかに説法が大事であるかが分かります。

日本で仏教が衰退してずいぶん たちますが、それでも有名な布教師が戦後間もない頃は、まだ全国にあり、仏法を説いていたそうです。
説法は、「腹切り仕事」と言われたそうです。
もし、釈迦の真意を誤って話したなら、一命責任を取る。

山賊でも金品を奪った後、里へ下る道ぐらいは教えるでしょう。
奪うだけ奪って何も教えない。

『後の世を渡す橋とぞ思いしに
世渡る僧となるぞ悲しき』

源氏物語にも、横川の僧都(よかわ・の・そうず)とその名が見える源信僧都。
幼き俊才は、この母親の手紙に発奮されて、今「人生の目的」を果たさせて、この世から未来永遠 幸福に渡す布教師となられました。
のちに親鸞聖人から、世界7高僧の一人に数えられています。
主著 「往生要集」は、中国仏教界でも、高く評価されました。
インドから中国、朝鮮半島を経て伝わった仏教です。
あり得ないことでした。

善知識にあうことも
教うることも また 難し
よく聞くことも難ければ
信ずることもなお難し
( 親鸞聖人)

・「善知識」とは、仏法を正しく伝える教師のこと。
・ここで「信ずる」と教えられているのは、今「人生の目的」を果たさせられて、この世から未来永遠の幸福になったこと。



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