9/15/2015

▼自己防衛的。その人から離れる、悪い縁から離れる。

それは、自分も知らず知らず悪のタネまきを抱え込んでいると思うので。悪い縁と触れて悪いタネが実を結び、悪果を受けるのも辛いです。
▼シェアをありがとうございます❗️頭がスッキリ。分かっているツモリの情報でも、まとまっていると、有り難いものです。
▼にわかには信じられませんが、自覚なくか、悪意なしか、人の嫌がることを言ったりやったりする人があります。自覚があって、悪意があるとしか受け取れないので、厄介です。
その人のそういう個性を分かっていれば、可哀想とも思えますが。
日常生活の、忙しい人間関係の中では、自己防衛。その人から離れる、悪い縁から離れる。
自分も知らず知らず悪のタネまきを抱え込んでいると思うので、悪い縁と触れて悪いタネが実を結んで悪果を受けるのも辛いです。
▼元気な時は、降りかかる火の粉は払わなければ、と思ったりしますが。
ただ若いうちは、火の粉を払うエレガントな言葉に習熟してなくて。
携帯電話を注意する、ゴミのポイ捨てを注意する、割り込みを注意する。
エレガントに言葉を使うようになれたら、と思っていてもテキストもないし。
無いと思っていたら、現実がよいトレーニング・ルームになっています。
▼最近のシーン再現
カフェで。一人座っていて。テーブルに余っているイス一つ。
隣のテーブルに子供を連れたママ友2組。着席して歓談中。
グラン・ママらしき人、登場。
斜め前でスタンディング・トークをママ達に。
(だいぶ続くようなので)
「、、、もしよろしかったら、こちらのイスを、どうぞお使い下さい、どうぞご遠慮なく」
すぐに静かなひと時。


▼参考▼「年毎に  咲くや吉野の  山桜  木を割りて見よ 花の在りかを」

「業(行為)」は物質ではありませんから、肉体をどれだけ調査しても、発見することはできません。
一休はこれを「年毎に  咲くや吉野の  山桜  木を割りて見よ 花の在りかを」と例えています。冬の桜の木は、花ひとつなく、まるで枯れ木です。どこに花を隠しているのか、と木を一分刻みにしても、花びら一枚、見つかりません。しかし桜の木には、花を咲かせる原因となる「力」があります。その力は、目には見えませんが、「春」という縁に触れると、目に見える「花びら」という結果を生み出すのです。

▼230ページ
第8章ー4 「私」が来世も続くとは、何が続くのか

運命を切り開く  因果の法則
伊藤健太郎 著
1万年堂出版
平成27年(2015)6月19日 発刊

http://matome.naver.jp/m/odai/2140815673873498701



0 件のコメント: