9/30/2015

カフェで

久しぶりにロング・ウオーキング。大口から旗の池、六角橋のそば屋経由、東神奈川駅前に出ました。初めてのコースです(^◇^)ドトールから。



9/15/2015

▼自己防衛的。その人から離れる、悪い縁から離れる。

それは、自分も知らず知らず悪のタネまきを抱え込んでいると思うので。悪い縁と触れて悪いタネが実を結び、悪果を受けるのも辛いです。
▼シェアをありがとうございます❗️頭がスッキリ。分かっているツモリの情報でも、まとまっていると、有り難いものです。
▼にわかには信じられませんが、自覚なくか、悪意なしか、人の嫌がることを言ったりやったりする人があります。自覚があって、悪意があるとしか受け取れないので、厄介です。
その人のそういう個性を分かっていれば、可哀想とも思えますが。
日常生活の、忙しい人間関係の中では、自己防衛。その人から離れる、悪い縁から離れる。
自分も知らず知らず悪のタネまきを抱え込んでいると思うので、悪い縁と触れて悪いタネが実を結んで悪果を受けるのも辛いです。
▼元気な時は、降りかかる火の粉は払わなければ、と思ったりしますが。
ただ若いうちは、火の粉を払うエレガントな言葉に習熟してなくて。
携帯電話を注意する、ゴミのポイ捨てを注意する、割り込みを注意する。
エレガントに言葉を使うようになれたら、と思っていてもテキストもないし。
無いと思っていたら、現実がよいトレーニング・ルームになっています。
▼最近のシーン再現
カフェで。一人座っていて。テーブルに余っているイス一つ。
隣のテーブルに子供を連れたママ友2組。着席して歓談中。
グラン・ママらしき人、登場。
斜め前でスタンディング・トークをママ達に。
(だいぶ続くようなので)
「、、、もしよろしかったら、こちらのイスを、どうぞお使い下さい、どうぞご遠慮なく」
すぐに静かなひと時。


▼参考▼「年毎に  咲くや吉野の  山桜  木を割りて見よ 花の在りかを」

「業(行為)」は物質ではありませんから、肉体をどれだけ調査しても、発見することはできません。
一休はこれを「年毎に  咲くや吉野の  山桜  木を割りて見よ 花の在りかを」と例えています。冬の桜の木は、花ひとつなく、まるで枯れ木です。どこに花を隠しているのか、と木を一分刻みにしても、花びら一枚、見つかりません。しかし桜の木には、花を咲かせる原因となる「力」があります。その力は、目には見えませんが、「春」という縁に触れると、目に見える「花びら」という結果を生み出すのです。

▼230ページ
第8章ー4 「私」が来世も続くとは、何が続くのか

運命を切り開く  因果の法則
伊藤健太郎 著
1万年堂出版
平成27年(2015)6月19日 発刊

http://matome.naver.jp/m/odai/2140815673873498701



9/13/2015

愛読書

(去年のフェイスブックから)
NHK朝の連ドラ「花子とアン」
愉快なやり取りにスカッとしていました。
最近は、戦争中の話になり、ちょっと明るさがなくなりましたが。
今日の放送のシーンで。
  
「防空壕の中で、考えたの。明日死ぬとなったらどうなるかと」
「ボクは、一日、花子さんの本を読んでいたいな」
と答える主人。
「明日、死ぬというのに?」

同じ状況に、作家の司馬遼太郎さんが選んだ本は。

司馬遼太郎さんと言えば、作家の中では、「作品のエピソードは沢山あるが個人的なエピソードは少ない」とある著名な編集者が言っていました。
「その逆は、松本清張さんです」とも。

「竜馬がゆく」を執筆するのに、トラック何台分もの資料を読んだとか。
自分の作家人生を逆算して、最上の充実期を定め、代表作「坂の上の雲」を書き始めたとか。

何しろ、地方に取材旅行に行かれるにしても、その地を全て調べ尽くされる。
そこに住む人に道を聞かれても、さらさらと地図を書いて、近道も教えてしまう。
徹底して調べ、それで、現地の風を感じられる。

司馬遼太郎さんに、あるとき「赤紙」が届きました。
いわゆる、戦争に行かなければならなくなったのでした。

司馬さんは、一冊の本を携え、戦地に赴きました。
そのたった一冊の本を、戦場の宿営地の中で、片時も離さず
ぼろぼろになるまで 読まれたそうです。

日本の三大古文と言えば、鴨長明の『方丈記』、『歎異抄』、吉田兼好の『徒然草』
この順でほぼ60年間隔で成立しているそうです。

その中の一冊が、ぼろぼろになるまで 読まれた古典です。

私は、司馬遼太郎さんの人となり、作品について詳しい訳ではありません。
ただ、なにか こう、一言一言が、心にしみるのです。

ブログに書いてみました。
投稿名 「司馬遼太郎さんについて」
私のブログ
 


吉川英治の新刊

▼吉川英治さんはと言えば、国民的な人気を博す大衆小説の名手として有名です。
亡くなって、はや半世紀が過ぎました。
新聞紙面に踊る「宮本武蔵」「三国志」「私本・太平記」などに、世間中が一喜一憂しました。
今なら、NHKの朝ドラといったところでしょうか。

▼若い頃のご苦労の様子は、評伝などからもうかがえます。作家デビューは30歳過ぎとのこと。
みずみずしい筆致は、あたたかくもあり、「朝の来ない夜はない」などの名句は今も人々の心に明かりを灯つづけています。苦労を重ねられた吉川さんのあたたかい眼差しは、小説の人物を通して大衆に届いていたのでしょう。

▼ところで、戦後出版された本のなかで、一番多く語られた歴史上の人物と問われたら、誰がベスト・ワンでしょう。
これは、だいぶ前に終了した人気テレビ番組「知ってるつもり!?」(司会、関口宏さん)で放送されたことです。
家康や秀吉などでなく、意外に思われるかもしれませんが、鎌倉時代の親鸞聖人でした。
ほとんど私たちは自覚することなく、親鸞思想を血肉として生きているのかも知れません。
「竜馬がゆく」などで名高い作家、司馬遼太郎さんは「鎌倉時代というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」と書き残しています。

▼これまで、多くの著名作家が、この東洋の聖者を主人公に選び小説にしてきました。
その人気は、大正、昭和から平成になっても変わらないようです。
抗し難い魅力が親鸞聖人にあり、作家を動かすのでしょうか。
なかでも、吉川英治さんは、実に3度、小説作品にしています。
これまで、最も親しまれてきたのは、講談社文庫の小説「親鸞」でした。
ふと見た広告で、この「親鸞」が、単行本で新たに出版されることを知りました。
最初に吉川さんが親鸞聖人の小説を新聞紙上に執筆されたのが、大正11年(1922)。
あれから、おおよそ100年。
「深遠無二の哲学思想家」「慈悲のかたまりのように優しい」と評される親鸞聖人。
苦労人であった吉川さんの大衆へのあたたかい眼差しは、どうしても親鸞聖人を必要としたのかもしれません。

(写真は、「吉川英治 親鸞 新刊 15周年」で検索したもの)


9/12/2015

地方都市の店舗オーナーさんを応援したい

北陸は、祖母の故郷ということもあり心かかる地です。
若い頃、フレンチ・レストランで働いていたことがありました。
オーナーの気苦労を身近に見てきたので、地方都市の店舗の苦労も気になるところです。
▼旅行者の視点、店舗オーナーの視点
Windows95の頃からネットに親しんでいますが、近頃は現地に行く前に新鮮な情報をピックアップ出来て助かります。
旅行する者にとっては、事前リサーチも楽しいひと時です。
あとは、現地。だけど、チェックしていたお店が、人であふれていて入れないということも多いかもしれません。
店も、お客さんが目の前に押し寄せているのに、商品やサービスを提供できない。
▼たとえば、その時、もし、店の前にポストカードがあったら。
そこに、そのお店の商品やメニューが書かれていたら。
さらに、類似のお店の情報のカードも置いてあったら。
たとえば、その類似のお店があまり人目のつかないところにあるけど、良心的なオーナーが経営していて。情報カードには、きめ細やかな説明が書いてある。
お客さんは、混雑を避けてそちらの店に行くかもしれません。
たどり着いたその店の前には、さっき立ち寄ったお店のカードが。
▼これを、ウエブで展開することも可能かもしれません。
クリックしたお店情報。そのワンクリックで、先々を見越した「動線情報」も受け取ることができたら。
▼ネットではより良質な情報を、供給する側も受け取る側も求めています。
レストランでも、ワインの良質な情報を求められました。
でも、そのあとサービスしたワインの舌触りが、悪かったら。
目的地は「良質な体験だよ」と、よく先輩に言われました。

9/10/2015

またまたビックリ❗️

愛読書の新聞広告が‼︎    (朝日新聞、本日の朝刊)














室町時代の蓮如上人の言行録から

仏法において肝要であるのは、修行でも、祈祷でもなく、ただ「真剣な聴聞に極まる」ことが、ねんごろに述べられています。
説法をする方があってこそ、法を聞くことが叶います。
いかに説法が大事であるかが分かります。

日本で仏教が衰退してずいぶん たちますが、それでも有名な布教師が戦後間もない頃は、まだ全国にあり、仏法を説いていたそうです。
説法は、「腹切り仕事」と言われたそうです。
もし、釈迦の真意を誤って話したなら、一命責任を取る。

山賊でも金品を奪った後、里へ下る道ぐらいは教えるでしょう。
奪うだけ奪って何も教えない。

『後の世を渡す橋とぞ思いしに
世渡る僧となるぞ悲しき』

源氏物語にも、横川の僧都(よかわ・の・そうず)とその名が見える源信僧都。
幼き俊才は、この母親の手紙に発奮されて、今「人生の目的」を果たさせて、この世から未来永遠 幸福に渡す布教師となられました。
のちに親鸞聖人から、世界7高僧の一人に数えられています。
主著 「往生要集」は、中国仏教界でも、高く評価されました。
インドから中国、朝鮮半島を経て伝わった仏教です。
あり得ないことでした。

善知識にあうことも
教うることも また 難し
よく聞くことも難ければ
信ずることもなお難し
( 親鸞聖人)

・「善知識」とは、仏法を正しく伝える教師のこと。
・ここで「信ずる」と教えられているのは、今「人生の目的」を果たさせられて、この世から未来永遠の幸福になったこと。



9/09/2015

“The Osha Castle Tragedy”


You Tube
“The Osha Castle Tragedy”  English,Sub Español (Use CC for translation)
https://m.youtube.com/watch?v=qXC5R93rC-k
Sales agency,Japanese website
http://www.tulip-k.co.jp/anime0-0.htm
This DVD ; (sound) Japanese,English,Korean, Chinese,Portuguese








9/08/2015

読書のひと時。

有名なアジャセの名前は、釈迦の極めて重要な経典「観無量寿経」に見られます。
あろうことか、釈迦は「法華経」を説き始められて間もなく中断し、この経典を説かれます。
王舎城で悲劇が起こったからです。
「観無量寿経」に説かれている、王舎城の悲劇。
悲劇のヒロイン、イダイケとは、地球上で最初に阿弥陀仏に救い摂られた人。
そこにはどんなドラマがあり、釈迦がどのようにイダイケを導いたのか、詳しく教えられており、息をのみます。


蓮の花

仏教で蓮華を使う理由は、ただ一つ。
蓮の花の五つの特徴が「他力の信心」の特徴を表しているから。

「他力の信心」とは、阿弥陀仏から我々が頂く信心のこと。
「他力」とは、仏教で「阿弥陀仏の力」のみを言うから。

2600年前、釈迦は大宇宙に地球のようなものが無数あることを説き明かされた。
だから大宇宙には数多くの仏の覚りを開かれた人がある、と示された。
ちょうど地球上に釈迦が現れたように。
釈迦が活躍の舞台はこの地球だが、釈迦仏の師匠にあたる阿弥陀仏の舞台は大宇宙に広がると説かれる。
阿弥陀仏の弟子の一人である釈迦は、このこと一つを分からせるために80年の生涯、全身全霊を傾けられた。
弟子の使命は、ただ師匠の存在とその心を明らかにすることだけだから。
その記録が7,000巻を越える膨大な経典となった。

この釈迦と弥陀の関係が分からないところから、仏教の誤解が始まった。

以上、親鸞聖人、「教行信証」のご指南を拝読して。


夜半、仏間で。

釈迦の7,000巻余りの経典が圧縮されている親鸞聖人の「教行信証」全6巻。
その一文を謹書。
この極めて大切な文章が削除され、「教行信証」が世に出版されていた時期が近代にありました。
命じた者があっても、抗う者がなかったか。
おおよそ戦国時代と呼ばれていた頃、もっと恐ろしかったでしょうに、信長の圧倒的な軍事力にも決して屈しなかった歴史があります。

恥ずかしい。文字はとうに戻っているのに、70年たっても戻らぬものがある。






9/05/2015

我が家のセキセイインコ

おはようございます❗️
ふんばってると思ったら、やはり。
どんだけ産むの?
叔母に話したら、「玉子焼きに出来るのかしら」って。
(≧∇≦)