9/08/2017

なぜ、釈迦は、 聖道仏教(天台宗、真言宗など)では 、 一人も助からなくなる、と説いたのか

仏教を大きく分けると「聖道仏教(しょうどう・ぶっきょう)」と「浄土仏教(じょうど・ぶっきょう)」の二つになる。「聖道仏教」 は「自力仏教(じりき・ぶっきょう)」ともいわれ、自分の力で難行苦行に励み、この世でさとりを開こうとする教えをいう。天台宗、真言宗、法相宗、華厳宗、禅宗などである。
「浄土仏教」は,阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)による救いを説き、この世で阿弥陀仏に救われた人は死ねば極楽へ往って仏に生まれられると教える。聖道仏教が自力の教えとい われるのに対し、浄土仏教は「他力仏教」といわれる。

                                

「他力」という言葉は 世間では「他人の力」というように誤用されているが、仏教で他力とは 「阿弥陀仏の本願の力」のみをいう。

釈迦は、時代が下って世の中が乱れてくると、「聖道仏教」では一人も助からなくなると説いている。釈迦滅後(しゃか・めつご)から五百年(または千年)を「正法(しょうぼう)」といい、教えが正しく伝わり、そのとおり修行して、さとりを開く人のいる時期とされる。

正法の後、千年間を「像法(ぞうぼう)」といい、「教え」と「実践する人」はあっても、さとりを開く人のいない時代である。そして次の「末法(まっぽう)」になると、教えだけが残って、いかに修行をしても, 一人もさとりを得ることができなくなると、『 大集経(だいじゅう・きょう) 』などの経典に説かれている。

末法が1万年続いた後に、「法滅(ほうめつ)」という時期が来て、全ての経典が滅する。この時には修行をする人はおろか、聖道仏教の「教え」さえなくなってしまう。しかし(中略)(前章で述べたように、)たとえ法滅の世になっても、弥陀(みだ)の本願(ほんがん)が教えられた『大無量寿経(だいむりょうじゅ・きょう)』だけは残ると、釈迦は説かれている。

ここからも分かるように、いつの時代も等しく、全ての人を絶対の幸福(ぜったいのこうふく)に救う真実の仏法なのである。

                                

釈迦が仏教を説かれた目的は弥陀(みだ)の本願(ほんがん)1つを教えるためであったが、その真意が分からず、『大無量寿経(だいむりょうじゅ・きょう)』以外の経典に基づいて立てられたのが、聖道仏教の各宗派である。

例えば天台宗は『法華経(ほけきょう)』を、真言宗は『大日経』や『 金剛頂経(こんごうちょう・きょう)』、法相宗(ほうそうしゅう)は 『解深密経(げじんみっきょう)』、華厳宗(けごんしゅう)は『 華厳経 (けんごんきょう)』を最高の経典としている。

教えが違うから、根本に尊ぶ仏も異なり、天台宗は釈迦如来(しゃか・にょらい)や薬師如来(やくし・にょらい)を、真言宗は大日如来(だいにち・にょらい)、法相宗(ほっそう・しゅう)は弥勒仏(みろく・ぶつ)、華厳宗(けごんしゅう)は毘盧遮那如来(びるしゃな・にょらい)を礼拝する。

法然上人(ほうねんしょうにん)が大原問答で、聖道(しょうどう)諸宗の学者と論争されたのは、いずれが優れた経典かという問題だった。まず法然上人は、聖道仏教(しょうどうぶっきょう)の経典を解説された、こう宣言されている。

「これらの経は、いずれも高遠な教えです。 そのとおり修行すれば、さとりを得ることができましょう。しかし私のように愚鈍(ぐどん)な者は、聖道仏教(しょうどう・ぶっきょう)の器ではありません。弥陀の本願でなければ、救われなかったのです」 

                                

それに対し各宗(かくしゅう)の高名な学僧(がくそう)が、一日一夜にわたり、それぞれの経典を根拠に非難や疑問をぶつけたが、法然上人はどれも明快に回答され、聞く者全(すべ)てを納得させずにおかなかった。

上人が最後、「私は自分の力量の限界を述べただけです。優れた方々の修行を妨げる者ではありません」と告げると、並み居る講衆は感服し、喜びのあまり三日間、不断に念仏を称(とな)えたと伝えられている。

 後日、法然上人はこの論争を回想して、「聖道仏教と浄土仏教は、教え(法)の深さは互角で、優劣はつかなかった。しかし、どちらが今の時代の我々(機、き)にふさわしいか、ということでは、弥陀の本願が優れているのだ」と語られたという。























出典 (図表とも) 「親鸞聖人を学ぶ」(1万年堂出版、2014.12.18)



(以下、ブログ管理者、清水弘之、追記)

※法然上人 「智慧第一の法然房」「勢至菩薩の生まれ変わり」と賞讚される。
※大原問答 京都、大原で行われた法論。380余人の聖道諸宗の学僧に対し、たったひとり、法然上人が相手をされた。

※弥陀の本願、絶対の幸福、その他、詳しくは本書を参考されたい。


                                

(付記)

(本書、はじめに から)

「史料の切片からの憶測ではなく、親鸞聖人の自著をよるべに、論理一貫した親鸞伝を世に問いたい」 



「親鸞聖人を学ぶ」   目次


第1章 二十九歳までの、決死の求道

1親鸞聖人は、どんな時代に生まれたのか。
源平の合戦と、相次ぐ天災がもたらしたもの
 
2わずか九歳で、出家を決意されたのは、なぜか
両親との別れから知らされたこと
 
3天台宗の僧侶となり、「女人禁制」の
比叡山で、どんな修行をされたのか

4求道に行き詰まった時、
聖徳太子が夢に現れて告げた「謎の言葉」とは

5「なぜ、このお山の仏教は、女を見捨てられるのでしょうか」
美しい女性の指摘に、絶句された親鸞聖人

6「この親鸞こそ、偽善者だ」
誰よりも戒律を守りながら激しく嘆かれたのは、なぜか

7「このままでは地獄だ」と、二十年間の修行を捨てて、下山されたのは、なぜか

8六角堂での百日の祈願
救世観音から授かった「女犯の夢告」とは

親鸞聖人は、なぜ、法然上人の弟子になられたのか。
「後生暗い心」は解決したのか

第2章 法然上人の弟子としての活躍


10「肉食妻帯」の真相
 なぜ、激しい非難を覚悟してまで、公然と結婚されたのか

11 親鸞聖人は、法然門下でどのような立場であったのか 
『選択本願念仏集』の書写を許された意味

12 どんな人を「仏」というのか? 
「仏」と「菩薩」の関係は? 
「阿弥陀仏」と「釈迦」は同じ仏?

13 釈迦の本心が説かれた真実の経典は『大無量寿経』ただ一つと、
親鸞聖人が断言されたのは、なぜか

14 「体失不体失往生の諍論」の真相
弥陀の救い(往生)は、
「生きている時」か、「死んだ後」か

15 「信心同異の諍論」の真相
他力の信心は、
どんな人も皆、同じ信心になるのか、
学問や経験によって一人一人異なるのか

16 「信行両座の諍論」の真相 
阿弥陀仏の本願には、
「念仏」で救われるのか、
「信心一つ」で救われるのか

第3章 権力者と仏教諸宗からの総攻撃


17天台宗、真言宗は、
なぜ、圧倒的な勢力を持つようになったのか

18 なぜ、釈迦は、聖道仏教(天台宗、真言宗など)では、
一人も助からなくなる、と説いたのか

19 「このままでは、日本中が浄土宗になってしまう」 
危機感を抱いた大寺院は、どんな行動に出たのか

20 なぜ、釈迦は、
「阿弥陀仏一仏に助けていただきなさい」と勧められたのか

21 法然門下を弾圧する後鳥羽上皇は、
どのようにして絶大な権力を持つようになったのか

22 全仏教が結託して朝廷に直訴した
「興福寺奏状」には、何が書かれていたのか

23 仏教史上、例を見ない
過酷な弾圧の引き金になった「鹿ヶ谷事件」とは

24 なぜ、法然上人は、「たとえ死刑になっても変えない」
と激怒し、弟子を破門されたのか

25 なぜ、親鸞聖人は、京都から追放され、
越後へ流罪になったのか

26 親鸞聖人は、無法な弾圧に遭いながら、
苦難が喜びに転じ、
感謝まで述べられているのは、なぜか

27 「親鸞は坊主ではない」の宣言は、何を意味するのか 
「僧に非ず俗に非ず」の真意

28 親鸞聖人は、流罪が解かれたあと、
なぜ、越後から京都に帰らずに、関東へ向かわれたのか


第4章 関東布教の二十年


29 法然上人の弟子の中で、
「専修念仏」を正しく伝えた人は、どれだけいたのか

30 なぜ、親鸞聖人は、大雪の夜、
日野左衛門の家の前で、石を枕にして休まれたのか

31 なぜ、親鸞聖人は、「田植え歌」を作り、
村人と一緒に泥田へ入られたのか

32 親鸞聖人を流刑に処した後鳥羽上皇は、
なぜ、自らも流刑になったのか

33 なぜ、自分を殺しに来た弁円に、
「我らは喜ばしき友、兄弟じゃ」と、
親鸞聖人は笑顔で応じられたのか

34 「病気治し、商売繁盛、豊作、安産の
祈祷が仏教ではない」と、
親鸞聖人が明言されたのは、なぜか

35 山伏は、僧侶なのか、超能力者なのか。
神信心と密教が混合して生まれた「修験道」

36 「神社の神も元は仏であり、神も仏も一体だ」
という誤った説が、なぜ広まったのか

37 親鸞聖人の教えが、全て書かれている
『教行信証』六巻には、何が教えられているのか

38 親鸞聖人の教えは、なぜ、こんなに厳しいのか 
「仏教以外の一切の宗教を捨てよ」
「聖道仏教を捨てよ」「自力(仮)を捨てよ」

39 高熱で、うなされていた親鸞聖人が、
「ああ、そうであったか!」と、
突然、布教に出られたのはなぜか

40 飢饉で餓死していく人を見て、経典を千回読もうと決意。
なのに、なぜ親鸞聖人は、
「誤っていた!」と叫び、中断されたのか

41 二十年間の関東布教で、
どれくらいの人が、教えを聞くようになったのか

第5章 関東から京都へ


42 親鸞聖人は、なぜ、
還暦を過ぎた頃、京都へ帰られたのか

43 「熊野神社へ参詣せよ」と主人から命じられた平太郎に、
親鸞聖人は、どう教えられたのか

44 関東に現れた日蓮は、
浄土仏教を、どのように批判したのか

45 「念仏をそしる者は、地獄へ堕ちて、大苦悩を受ける」と、
親鸞聖人が教えられたのは、なぜか

46 親鸞聖人の長子・善鸞は、
なぜ、教えを曲げて、「秘密の法文」を作ったのか

47 善鸞を祖とする「秘事法門」は、
七百年後の現在、どのような形で伝わっているのか

48 関東の同行が、命懸けで、
京都の親鸞聖人の元へ旅立ったのは、なぜか

第6章 晩年の聖人、京都でのご苦労


49 「念仏が、極楽往きの因か、地獄に堕つる業か、
今更この親鸞に言わせるおつもりか」 
親鸞聖人が激怒されたのは、なぜか

50 「自分の信心がニセと分かったのは、大変よいことだ」 
親鸞聖人は、なぜ信心の動乱を喜ばれたのか

51 「親鸞は弟子など、一人も持っていない」 
裏切って去っていく信楽房を、温かく見送られた真意は?

52 二十四輩の筆頭、性信房は、
関東で起きた動乱に、どう立ち向かったのか

53 「情けなさ、言うに及ばないけれども、
今からはおまえの親ではない。
子とも思わない。悲しい限りである」 
長子・善鸞を義絶されたのは、なぜか<

54 親鸞聖人の著作活動が、
晩年まで衰えなかったのは、なぜか

55 親鸞聖人を「優れた詩人」とも
評する人が多いのは、なぜか

56 「親鸞が死んだら、鴨川へ捨てて、魚に与えよ」と
常に言われていたのは、なぜか

第7章 親鸞聖人は何を教えられたのか


57 「親鸞は、今まで誰も説かなかった、
新しい教えを伝えているのではない」 
浄土真宗は、どなたの教えなのか

58 「浄土宗」と「浄土真宗」は、どこが違うのか

59 「因果の道理が分からなければ、
親鸞聖人の教えは分からない」といえるのは、なぜか

60 「人生には目的がある。
しかも、生きている現在、完成できる」 
親鸞聖人の教えを、なぜ「平生業成」というのか

61 生老病死などの苦しみの根元を抜き、
無上の楽しみを与えるのが仏教の目的、
とはどういうことか

62 我々を特に苦しめる「欲」「怒り」「愚痴」の、
三毒の煩悩とは、どんなものか

63 親鸞聖人が、苦悩の根元と断定される
「無明の闇」とは、どんな心か

64 阿弥陀仏の本願を、
「大きな船」に例えられたのは、なぜか

65 阿弥陀仏の本願を、
「太陽」に例えられたのは、なぜか

66 金、名誉、地位、財産などの「相対の幸福」では、
本当の幸せになれないのは、なぜか

67 「絶対の幸福」に救われたら、
人生の景色は、どのように変わるのか

68 「往生には、二つの意味がある」と、
親鸞聖人が教えられたのは、なぜか

69 勤行で拝読する「正信偈」には、
何が書かれているのか

70 他人の力や、自然現象などを
「他力」というのは、なぜ、間違いなのか

71 「念仏」といっても、三とおりあると、
なぜ、親鸞聖人は教えられたのか

[親鸞聖人を、もっと詳しく学びたい方へ]
◆ビデオ、書籍の案内
◆基本人名、用語集
◆年表、人物関係図



返信先: @Malalaさん、@UniofOxfordさん


Hi,Marara.I'm Hiroyuki from Japan. Congratulations! I heard you study philosophy at University. Aso learn Japanese philosophy of Shinran !

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