3/31/2018

春と珈琲と読書

今日は、休日。春をめでながら、コーヒーを飲んでます。朝からずっと、読書も。
(略)泣く泣く筆を染めた渾身の書が『。。。
(略)人間のあらゆる営みを否定する、反社会的、反道徳的、常識破りの発言が繰り返される、、、


<18>人類の常識を破り、生きる目的を断言された言葉




[意訳] 火宅(かたく)のような不安な世界に住む、煩悩(ぼんのう)にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実(まこと)は一つもない。ただ弥陀(みだ)より賜った念仏(ねんぶつ)のみが、まことである。
※火宅 火のついた家のこと。
※煩悩 欲や怒り、ねたみそねみなど、私たちを煩わせ悩ませるもの。
※弥陀 阿弥陀仏(あみだぶつ)のこと。

[原文] 煩悩具足(ぼんのう・ぐそく)の凡夫(ぼんぷ)・火宅無常(かたく・むじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もってそらごと・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏(ねんぶつ)のみぞまことにておわします
(『歎異抄(たんにしょう)』後序)

「この世のことすべては、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない」
親鸞聖人(しんらん・しょうにん)は断言される。
人間のあらゆる営みを否定する、反社会的、反道徳的、常識破りの発言が繰り返される『歎異抄(たんにしょう)』。
だが、すべては真実信心(しんじつ・しんじん)のむき出しなのだ。

「信心」と聞くと、無宗教のオレには関係ないよ、とソッポをむく人があるかもしれぬ。だが
"イワシの頭も信心から"というではないか、広くいえば、仏や神を信ずるだけが信心ではなかろう。
明日もあると「いのち」を信じ、まだまだ元気だと「健康」を信じる。夫は妻を、妻は夫を、
親は子供を、子供は親を信じて生きている。
金銭や財産の信心もあれば、名誉や地位の信心もある。マルキストは共産社会こそ理想と信じている
人たちだ。
※マルキスト マルクス主義(共産主義)を信奉する人たち。

何を信ずるかは自由だが、なにかを信じなければ生きられない。生きるとは信ずることだから、誰も
無心人ではあり得ないのだ。
信ずるものに裏切られると、たちまち苦悩に襲われる。健康に裏切られたのが病苦であり、恋人に
裏切られたのが失恋の悲しみだろう。
夫や妻を亡くして虚脱の人、子供に先立たれて悲嘆の人、財産や名誉が胡蝶(こちょう)の夢と化した人、
みな信ずる明かりが消えた、暗いなみだの愁嘆場(しゅうたんば)である。
※胡蝶(こちょう)の夢 この世のはかないことのたとえ。

皮肉にも、信じ込みが深いほど、裏切られた苦悩や怒りは、ますます広まり深きを増す。
生きるため日々悪戦苦闘する我々だが、決して苦しむために生まれてきたのではない。生きているわけでもない。
唯一生きる目的は、生命の歓喜(かんぎ)を追い求め、獲得するためなのだ。誰しもこれに異存はなかろう。
ならば信じるものの真贋(しんがん)に、尋常ならざる真剣さが要請されるのも当然ではなかろうか。果たして
我々は、裏切るものか否かの吟味に、どれほど深刻に考慮し、神経をとぎすませているのだろう。
※真贋(しんがん) 本物と偽物。

地震、台風、落雷、火災、殺人、傷害、窃盗、病気や事故、肉親との標津、事業の失敗、リストラなど・・・・
。いつ何が起きるか分からない泡沫(ほうまつ)の世に生きている。
盛者必衰(じょうしゃひっすい)、会者定離(えしゃじょうり)、物盛んなれば則(すなわ)ち衰う、今は得意の絶頂でも必ず崩落(ほうらく)がやって来る。出会いの喜びがあれば、別れの悲しみが待っている。
※泡沫の世 水面にできた泡のようにはかない世。

ひとつの悩みを乗り越えても、裏切りの尽きぬ不安な世界だから、火のついた家に喩(たと)えて親鸞聖人(しんらん)は、
「火宅無常(かたく・むじょう)の世界」と告発される。
たとえ災害に遭(あ)わず病にもかからずとも、冥土(めいど)の道に王はないのだ。
※冥土(めいど)の道に王はない だれも死を免れることはできないということ。

いざ死の巌頭に立てば、どうだろう。財産も名誉も一時の稲光り、かの太閤の栄華でさえもユメのまたユメ
、天下人の威光は微塵もなく、不滅の光はどこにも見られぬ。
己の信ずるものは永遠だと、はおも幻想する人たちに、聖人の大音が響流(こうる)する。
「万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実(まこと)あることなし」
そらごと、わたごとに例外はないのだ。
※太閤 豊臣秀吉のこと。

※響流 響き渡ること。

「死んではならぬ」「強く生きよ」と高々に命の尊厳を説いた先生が、あっさり首を吊って世を驚かす。
なぜか有名人の自殺は美化されるが、生命の尊厳性が確認されない限り、自殺の是非も、そらごとたわごとの、
ひとこまにすぎない。
そらごと、たわごとに生きるのは、噴火山上の舞踏に等しく、不気味な不安に耐え切れず、死をえらぶも
むべなるかなと思われる。

さればこそ、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の大啓蒙(だいけいもう)だ。
「ただ念仏のみぞまことにておわします」
"みな人よ、限りなき生命の歓喜(摂取不捨の利益、せっしゅ・ふしゃ・の・りやく)を獲て、ただ念仏(ねんぶつ)するほかに、人と生まれし本懐(ほんがい)はないのだよ"
親鸞聖人(しんらん・しょうにん)九十年、唯一のメッセージを伝えんと、泣く泣く筆を染めた渾身(こんしん)の書が『歎異抄(たんにしょう)』と言えよう。

※摂取不捨(せっしゅ・ふしゃ)の利益(りやく) 摂(おさ)め取られ、捨てられぬ幸福。



「歎異抄をひらく」第二部 「歎異抄の解説」<18>
(1万年堂出版、2008.3.3)

紫色の文字カラー着色は、清水による
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清水弘之(Shimizu Hiroyuki)on  June 10,1960

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