【人ノ言葉ヲ通ス】
ラジオを聴いていても、今は「NHKのホームページから」とか言われる。
その後、「ファックスの方は」そして最後に「葉書の住所」が案内される。
ラジオを聴いていても、今は「NHKのホームページから」とか言われる。
その後、「ファックスの方は」そして最後に「葉書の住所」が案内される。
ネットは空気のように 無くてはならない社会の「インフラ」となりました。
この新しい技術は、日々みずみずしく、物珍しいアイディアを目の前に見せてくれます。
振り返ると、インターネットにつなげるのに、電話線からノロノロとデータをやり取りしていたウインドウズ95の頃が懐かしい。
今は、線無し、ですものね。
この新しい技術は、日々みずみずしく、物珍しいアイディアを目の前に見せてくれます。
振り返ると、インターネットにつなげるのに、電話線からノロノロとデータをやり取りしていたウインドウズ95の頃が懐かしい。
今は、線無し、ですものね。
その電話線を活用して、初めて「文字」や「図表」を海外にでも送れるようになった時の感動は、ファックス。
今も、企業には必ずある、現役の「技術」ですね。
今も、企業には必ずある、現役の「技術」ですね。
通信技術の進歩は、ここ100年くらいで、すさまじい。(若干のズレは私の半世紀分ですが)
「通信」とは、だれが、名付けたのか。翻訳か、造語か、古くからあった言葉でしょうか。
「通信」とは、だれが、名付けたのか。翻訳か、造語か、古くからあった言葉でしょうか。
「人」の「言」を「通す」とは、これ以上 適切な「IT用語」はなく永遠の相を帯びているようです。
「私信」という言葉があります。
手紙時代の言葉。
手紙を、個々人宛に出す行為。これもまた「通信」
「私信」という言葉があります。
手紙時代の言葉。
手紙を、個々人宛に出す行為。これもまた「通信」
これをIT技術のように駆使された人が、室町時代にあったと聞きます。
録音機も、もちろん無い時代。
録音機も、もちろん無い時代。
ご自分の「説法」の内容を「手紙」にしたため、ご自分の「声」を人々に宛てて差し出した。
当時は、言葉を読める人は、少ない。
受け取ったひとが、町の寄り合い所のようなところで、そのお「手紙」を大きな声で朗読する。
回りを取り囲む人々は、その人からの声を、あたかも目の前のことのように、聞き入った。
驚いたでしょうね。感動したでしょうね。
この手紙は、往時の近江の商人らによって、全国に もたらされた。
その方のおられる寺に旅立たなくても、東北や、九州で、いながらにして「聞く」ことが出来る。
まさに、「グローバル・IT」とも言える さきがけ でしょう。
さらに、お手紙を受け取った人々によって、必死になって書き写され、またそれが全国に旅立った。
その方のおられる寺に旅立たなくても、東北や、九州で、いながらにして「聞く」ことが出来る。
まさに、「グローバル・IT」とも言える さきがけ でしょう。
さらに、お手紙を受け取った人々によって、必死になって書き写され、またそれが全国に旅立った。
まさに「シェア」であり、「ツイッター拡散」でしょう・
今も、数百数千が、個人のお宅に秘蔵されているのでしょう。
今も、数百数千が、個人のお宅に秘蔵されているのでしょう。
この革新的な「通信手段」の発想によって、今も全国一の信徒数、2千万を誇る「浄土真宗」となりました。
なんという、奇遇、スクラップしていた新聞の同じ面に、そのトップになった若い人の紹介記事がありました。
さらに私を驚かせたのは、その下のある広告でした。
さらに私を驚かせたのは、その下のある広告でした。
この本こそ、この巨大教団を突き動かした1冊だそうです。
(出版の事情通から聞いた話しです)
(出版の事情通から聞いた話しです)
小さな寺出身の方が半世紀以上かかって、この巨大教団に立ち向かわれた。
一言で言えば、「浄土真宗」という看板を汚してしまったことに対して。
過激な たとえを使わなければ伝わらないでしょう。それはあたかも、「薬屋さん」さんの看板の店先に、「覚せい剤」を並べていたようなありさまでした。
「看板」を外すか、「商品」を鎌倉時代の物に直すか、どちらか一つしか道がなかったのに、ズルズルと今日に至っていると。※
※この項、祖父の遺言書の一部から、事実を変えず、脚色
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