9/09/2014

(室町時代の)「手紙」と「通信」について

 
 【人ノ言葉ヲ通ス】
 ラジオを聴いていても、今は「NHKのホームページから」とか言われる。
その後、「ファックスの方は」そして最後に「葉書の住所」が案内される。
 ネットは空気のように 無くてはならない社会の「インフラ」となりました。
この新しい技術は、日々みずみずしく、物珍しいアイディアを目の前に見せてくれます。
振り返ると、インターネットにつなげるのに、電話線からノロノロとデータをやり取りしていたウインドウズ95の頃が懐かしい。
今は、線無し、ですものね。
 その電話線を活用して、初めて「文字」や「図表」を海外にでも送れるようになった時の感動は、ファックス。
今も、企業には必ずある、現役の「技術」ですね。
 通信技術の進歩は、ここ100年くらいで、すさまじい。(若干のズレは私の半世紀分ですが)
「通信」とは、だれが、名付けたのか。翻訳か、造語か、古くからあった言葉でしょうか。
「人」の「言」を「通す」とは、これ以上 適切な「IT用語」はなく永遠の相を帯びているようです。
「私信」という言葉があります。
手紙時代の言葉。
手紙を、個々人宛に出す行為。これもまた「通信」
 これをIT技術のように駆使された人が、室町時代にあったと聞きます。
録音機も、もちろん無い時代。

ご自分の「説法」の内容を「手紙」にしたため、ご自分の「声」を人々に宛てて差し出した。
当時は、言葉を読める人は、少ない。
受け取ったひとが、町の寄り合い所のようなところで、そのお「手紙」を大きな声で朗読する。
回りを取り囲む人々は、その人からの声を、あたかも目の前のことのように、聞き入った。
驚いたでしょうね。感動したでしょうね。
 この手紙は、往時の近江の商人らによって、全国に もたらされた。
その方のおられる寺に旅立たなくても、東北や、九州で、いながらにして「聞く」ことが出来る。
まさに、「グローバル・IT」とも言える さきがけ でしょう。
さらに、お手紙を受け取った人々によって、必死になって書き写され、またそれが全国に旅立った。
まさに「シェア」であり、「ツイッター拡散」でしょう・
今も、数百数千が、個人のお宅に秘蔵されているのでしょう。
 この革新的な「通信手段」の発想によって、今も全国一の信徒数、2千万を誇る「浄土真宗」となりました。
 なんという、奇遇、スクラップしていた新聞の同じ面に、そのトップになった若い人の紹介記事がありました。
さらに私を驚かせたのは、その下のある広告でした。
この本こそ、この巨大教団を突き動かした1冊だそうです。
(出版の事情通から聞いた話しです)

小さな寺出身の方が半世紀以上かかって、この巨大教団に立ち向かわれた。
一言で言えば、「浄土真宗」という看板を汚してしまったことに対して。

 過激な たとえを使わなければ伝わらないでしょう。それはあたかも、「薬屋さん」さんの看板の店先に、「覚せい剤」を並べていたようなありさまでした。
「看板」を外すか、「商品」を鎌倉時代の物に直すか、どちらか一つしか道がなかったのに、ズルズルと今日に至っていると。※
※この項、祖父の遺言書の一部から、事実を変えず、脚色


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